父との思い出

父から母への電報

家族

母が私を身ごもった時、母は有力な事務所に入ったばかりで、テレビにも出演し森光子さんや赤城春江さん、十朱幸代さんや朝丘雪路さんといったスターさんに可愛がられ、ブレイクしそうな大事な時だったので、父は私をおろす様に母を説得した様ですが、母は一人でもこの子を産むと泣いたため私はこの世に誕生出来たという事です。

ですが父はそこから一転し、母が冷えないように毛糸のパンツを買ってきたりと私の誕生を楽しみに待ち、生まれた日は舞台が跳ねると大急ぎで病院に駆けつけ、ボロボロ泣きながら私と対面し、母と私が病院から自宅に帰ると夜が明けるまで私の顔を嬉しそうに眺め、一睡もせずに仕事に出掛けたそうです。

毎日私にお土産を買ってきては母に叱られるといった溺愛ぶりで、私も父が大好きでした。

仕事の無い日には自転車の前に取り付けた子供用の椅子に私を乗せ、田んぼにオタマジャクシを取りに行ったり、小手指の操車場に電車を見せに行ってくれました。

両親と私

父と私1

正月、朝丘雪路邸での餅つき大会に連れて行ってくれたり、何かイベントがあると小さな私を連れて行ってくれました。

私が4歳の時に斜視弱視が判明した時は、家を売ってでも私の目を治すと言ってくれました。

熱を出した時には病院まで夜中おぶって連れて行ってくれました。

父と私2

父と私3

父と私4

しょっちゅう楽屋に連れて行ってくれて、観劇した後池袋の東武で食事をして帰るのが定番でした。

今でこそ私は母似ですが、楽屋で役者さん達に『たかしくんはパパ似だね。』と言われるのが嬉しかったです。

三木のり平先生の舞台公演では父は良い役を付けて頂いていたので、父が舞台に出てくるのが楽しみでした。父は私のヒーローでした。

父と私5

電車で移動する時は元鉄道マンという事も有り、鉄道の知識を色々教えてくれました。

大きなボードゲームのセットを買い込んで来て、家族みんなでゲームをするのが好きな父でした。

私が20歳になった時、父の舞台を観劇した帰りに池袋の居酒屋で一緒に呑みました。父は『息子と一緒に呑むのが夢だったんだ。』とご満悦でした。

父と私6

父は女性関係で母を泣かせたり、お酒で数々の失敗もしたし、私と何度も大喧嘩をしました。

だけど私は間違いなく父に愛されていた。。。。。。。

そう思った途端。。。。

亡くなってから今まで殆ど出なかった涙が吹き出してきました。。。。。

お父さん、ありがとう。

私を愛してくれて本当にありがとう。。。。

たかし