50年を超える私の人生ですが、そのスタートの数年で両親により大きな『ディスアドバンテージ』を背負わされる羽目になりました。
ここではその経緯を時系列に従い述べていきます。
私とて生まれながらのメンヘラだった訳では御座いません。むしろ生まれて暫くは良く笑い、人懐っこく、周りの大人に可愛がられた様なのです。
この時期の記憶がもっと鮮明に残っているのなら、後々こんなに苦労もしなかったでしょうが。。。
しかし、2歳後半から少しずつ異常な家庭の歪みが忍び寄ってきます。
この頃の私の発言で気になったものが有ります。
それは
『無駄だよ。』
です。
これはどのタイミングで発せられたかと言うと、母親に怒られて表に出され隣の家に避難していた時に、隣の家のおばさんに『たかしちゃん、ママに謝ったら許してくれるんじゃない?』と言われた時に私が発した言葉です。
そうです。もうこの時に私は『自分の母親が自分が何を言おうが取り合ってはくれない』と諦めていたのです。自分は無力であると言う悟りですね。。。
この当時、近隣の市に住む親父の弟夫婦が頻繁に家に遊びに来ていたのですが、その事で両親はしょっちゅう揉めていました。自分の子供の頃から母親と父方の祖母や父方の兄弟は揉め事が絶えず、母はよく泣いていました。。。子供心に不安でした。。。
そして母には躾という名を借りた折檻というのか。。。兎に角何で怒られるのか分からない怒り方をされ、なかなか許してもくれないので『母親には何を言っても無駄。』という気持ちが心に根付いていました。
そして4歳から人生最悪期突入です。。。。
先日上記リンクのブログにも書きましたが、幼稚園に入る前に母親が健康診断を受けさせたところ、左眼に遠視性の斜視弱視が見つかり、見える方の右眼にアイパッチをして0.02の視力で幼稚園に通い、毎日同じクラスの園児や担任、それに加えて両親にも自尊心をフルボッコにされ続けた暗黒の2年間です。。。
もう表情すら無いですよ。
笑顔なんて何処かに忘れてきましたって顔ですね。
どうせ幼稚園に行ってもみんなに虐められるのに何で行かなきゃいけないのか意味が分かりませんでした。自分がこの世に存在する意義すらこの年齢で分からなくなっていました。
親が望むように『嫌な事から逃げない忍耐力』は身に付いたかも知れませんが、そんなものより数百倍この時期に身に付けなきゃいけない『自分は大切な人間なんだと言う自尊心』を失い今後の人生の足を強力に引っ張る『強固な劣等感』が身に付いてしまいました。
またこれ位の時期から2つの癖に悩まされるようになります。
先ず1つ目です
『目をパチパチさせるクセ』
はい。この原因は今の時代なら多くの方がお分かりだと思います。
『不安やストレス』
ですよね。
この不安やストレスは私の自分に対する劣等感や両親の不和や母と父方の親戚との不和がもたらしたものです。
にも拘らず馬鹿親父は
『目をパチパチするんじゃない!!』
と私に向かってエラそうに怒るのです。。
『原因がテメーらに有るのに怒鳴って余計に俺にストレス掛けて症状を悪化させんじゃねえよ!!』
タイムマシンが有ったら親父をシバキ倒しに行きたいですわ。本当に(-_-メ)。
次に出た癖が
『爪噛み癖』
でした。。。
母親が色んな所で言いまくる訳ですよ。
『この子は爪なんて噛んで、ちゃんとご飯を食べさせてるのにウンチャラカンチャラ。。』
と。
賢明な読者の皆様なら『子供の爪噛み癖』の原因はお分かりですね。
これもまた
『不安とストレス』
ですよね(--〆)。
要するにこの馬鹿夫婦は自分達が子供である私に『不安とストレス』を掛けておいて、その身体症状が出た私を非難して叱って、余計に不安やストレスを煽ったのですよ。。。。
もう本当に嫌んなるわ。。。
小学校に上がるとアイパッチで片眼を遮蔽する治療は無くなりましたが、私は心は閉ざしたままでした。
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で、此処から母親が私を机に縛り付け始めます。
これが自分も一緒に勉強しようとかならまだ良いんですよ。
自分は昼寝していて私にドリルをやらせる。
出来なきゃ怒る。怒られたくないから仕方なくやる。無理矢理でも勉強すれば成績は上がる。成績が上がれば褒められるから認めて貰うために勉強する。
歪んでいますよね。。。。
成績は上がり、小学校では児童会の副会長をやりましたが、小学校6年で苛めに遭い、中学時代も友達との人間関係で『自分は何かオカシイ』という違和感を感じていました。全て意見が合わなくてはいけない。少しでも合わないと敵。みたいな歪んだ思考にとらわれていました。。後々振り返ると鬱になりやすい0か100かという極端な思考傾向ですね。
高校は地元でもそこそこ名前の通った進学校に進みましたが、もうそこで自分のミッションは完徹した様な気になって勉強をがむしゃらにする様な事は無くなりました。
人間関係は相変わらず『他人を怒らせてはいないか?人に嫌われてはいないか?』という事を絶えず気にしてビクビクする様なギコチナイ物でした。
そして一浪の末新設のFラン大学へ。
この時も将来自分で何か事業を起こそうとは全く考えられませんでした。
これ位の年代の若者なら自分の無限の可能性を信じて疑わないのが普通かと思います。
しかし私は『自分には無理』という自己肯定感の低さから来る劣等感に支配されていたので。。。。
自分自身に自信を持つなんて出来ない脳になっていたのです。
親父の様にフリーランスという生き方も無理だと思っていました。公務員か会社員になるしかないと思い、大学時代の初期は公務員を目指していましたが、いくつかの大学にまたがる公務員模試の結果で、学内1位を獲得したものの、周辺のいくつかの大学を含む順位が220位辺りだったのを機に公務員を諦めました。
しかしこの模試で私より成績が下だった学生が、後に何人も公務員になりました。。。。
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とはいえ時はバブル期。世の中は景気の良いニュースが飛び交い、親の世代を見ていて『会社に入れば年々給料は右肩上がりで一生安泰』なんて事をみんなが考えていました。
私は大学1年、3年、4年で成績優秀者で表彰され、当時は大企業だったE社から内定をもらい、就職指導室発行の学内報に寄稿するなど、大学入試でこけた後はそこそこリカバリー出来た様な気になっていました。
新卒で入ったE社は老舗企業でかなり保守的な体質でした。
しかし横並びで年功序列な企業風土に私は安心感を感じていました。
※その様な企業風土が災いしたのか、2020年時点で私の入社時と比べ売上高は5分の1近くまで落ち、大規模なリストラにより当時一緒に働いていた人達は殆ど居なくなりました。
下働きの様な雑用でしたが、言われるように仕事をすれば良かったし、会社から科せられたとある資格試験にも受かったので、早くも20代前半で今後の人生は安泰だと考えていました。
まだこれまで『鬱』と思われるような症状は一度も発症してはいませんでした。相変わらず対人関係ではギクシャクする事もあって『自分自身に違和感』を感じてはいましたが。
初めての『鬱』は入社三年目に異動した異動先で起こりました。
何年も新たに移動してくる若手の居ない『不人気部署』に自ら移動してしまった私は此処でパワハラの餌食になります。
元々離職率の高い会社でしたが、私が異動してからも所属部署ではドンドン退職者が増えて行き、その退職者の職務が丸々私の職務になりました。。。増え続ける自分の担当商品の管理さえままならないのに、時には不在者のポケベルを3人分持たされて電話対応で忙殺されました。その上自分の部署のみならず、フロア全体の雑用も私一人に圧し掛かります。
流石に『私一人では物理的に無理です。』と訴えましたが、
『お前の能力がないからだ』
と取り合ってもらえず、毎日5時に起きて一人7時半から仕事を初め、毎日23時近くまで働いていた私の『自尊心』は崩壊し、その頃から不眠、不安、偏頭痛、鬱特有のグルグル思考が始まり、仕事のパフォーマンスはガタ落ちしました。
大変だから逃げたのではありません。
何とか向かっていこうと自分なりに最大限努力したし、前向きに向かっていきました。
しかし
『お前の能力がないからだ』
の一言で全ての努力が蹴散らされ、私は鬱になりました。
折角の安定した職場でしたが、こうなってしまったら続ける事は困難です。
今ならコンプライアンス委員会に訴えて改善を促すことも出来るでしょう。休職の手続きや配置換えの要望も出せるでしょう。
しかし26年前は会社にコンプライアンス委員会はおろか、社員の安全管理義務なんて浸透してはいませんでしたし、自分自身が鬱病である自覚も有りませんでした。
退職の意向を両親に話した時の反応ですが、別ブログにも書きましたが
親父『○○ちゃん(自分の弟)も良い会社だって言ってるじゃないか!!俺の息子なのに情けない!!』
と自分の息子の健康より世間体を気にする反応。。。
母親『辞めても良いけど、毎月家に入れてる分はちゃんと入れてよね。』
とやはり自分の息子の健康より生活費を気にする反応。。。。
今まで自殺しなかった自分を褒めてやりたいです。