今から書く事は親を罵倒する為でも自分が如何に苦労してきたかを言いたい為でもなく、今この時『自己肯定感』が低い為に抑鬱状態に陥っている人が、一人でも楽になる事を願って書くものであります。
10日程前から2年半ぶりに『鬱』が私に忍び寄ってきました。。。
切っ掛けは会社が突然出してきた『人事制度』です。
詳細には書けませんが『新しい試験制度を導入し合格しなければ給料を減額する』と言う一方的で横暴な物なのですが、普通のメンタリティーならば
『期日までに合格すれば減額されなくて済むわけだから勉強しよう。』
で話は済むわけです。
しかし私は減額された後の今より更に悲惨な生活を想像し、更に会社からそれ以上の酷い仕打ちをされやしないかと、焦燥感に苛まれました。
実際に私は会社からその様な仕打ちを過去に受けているので、かなり現実味を持ってその恐怖が容赦なく襲って来ました。
鬱特有の『グルグル思考』に襲われて、日に日に胸が苦しくなって行きました。
10/31は親父の三回忌が執り行われるので、とある北関東のお寺さんに行く事になっていました。前日の夜に準備をしてそのまま北関東に向けて出発し、お寺さんからそう遠くない道の駅で休もうとしました。
しかし、全く眠れない。。。。。
睡眠障害は深刻な事態です。
2年半前に休職した前後は、精神科で精神安定剤を注射してもらった後の1時間しか眠る事が出来なかったです。
また新卒で入った会社の3年目の異動先でパワハラに遭った時も、睡眠が1日2時間以上取れなくなって、2カ月過ぎた頃に退職を決意しました。
結果としてこの日は『完徹』となってしまいましたが、何とかして深みに落ちる前に食い止めようとネットでメンタルの回復に関する検索をしまくりました。
自慢できる話では全くないですが、これだけ何回も抑鬱状態に陥ると、ある程度は自分の今の状況や、自分にとって必要な物が何かは分かってきます。
『自己肯定感 高める 大人』
と言うキーワードで検索して出てきたこのサイトが私にとって救世主になりました。
自分を『鬱』に導く最大の要因が『自己肯定感の低さ』に起因するもので、それが幼少期からの『両親から受けた心の傷』で有る事は以前から理解できていましたが、ではどうすればそこから脱出出来るかと言う事は分からずにいました。
上記リンクにはその方法が分かりやすく書いて有り、それが腹落ちしました。
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子供の頃からの『刷り込み』で私は物事をネガティブに捉えるクセが有ります。
また物事に対して不満を持つ事の方が『感謝』する事に比べてずっと多いです。
以前から『物事には全て二面性があり、見方を変えれば感じ方は大きく違ったものになる。』と幾度となく見聞きしてはいました。
しかし、簡単に切り替える事は出来ませんでした。
今回は『大っ嫌いな辛い鬱』が目の前に迫っていたので、今自分が悩んでいる事柄を一つずつ『ポジティブ変換』、『フレーミング』していきました。
それと並行して今の自分が関わる事全てに対し『感謝の念』を持って見つめ直してみました。
そうする事により『鬱から来る頭痛と焦燥感』はかなり緩和されました。
以前から私にはNLP(神経言語プログラミング)が向いていると思っていましたが、たまたま行きついたこのサイトもNLPのサイトでした。
ですが私がNLPという言葉に初めて接したのは2013年頃で、この時も自分の処理能力以上の仕事に心が折れて休職を余儀なくされていた時でした。
この時は週に1枚送られてくるNLP業者のCDを聴いていたのですが、あまり効果を感じる事が出来なかったと言うか、心から理解は出来ていませんでした。
親父の三回忌をキャンセルしようかと思うほど鬱状態でしたが、物の見方を変えて感謝する事で、それは何とか回避出来ました。
早めにお寺さんに着くとお手伝いする事が結構有ったので、身体を動かしました。
身体を動かした事も気分を良い方向に動かしてくれました。
その内に参詣の御信徒が集まってきましたが、もう何度となくお邪魔しているのでそれなりにお顔馴染みも増えているのでご挨拶などをしていると、『そのままの私を受け入れて下さるコミュニティの存在』がとても有り難く思えました。
上記リンクのブログにも有りますように、私の両親は『私を条件付きで無ければ認めず愛さなかった』からです。
そして親戚に『両親と私』の色んなエピソードを話していく内に
『ウチの両親ってひょっとして毒親を遥かに超えた猛毒親じゃない?』
という思いと
『両親にこれだけの心の傷を負わされても自殺もせずに生きている俺って物凄く強い人間ではないだろうか。』
という思いが心の底から湧き出してきたのです。
そうしたら完全に欝々した気分も頭から首に掛けてあった張りも消えていきました。。。。
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蛇足ですがこれは自分だけが思っている事では無くて、2年前の休職前にとあるカウンセリングルームにカウンセリングを受けに行ったのですが、自分の子供の頃からの事を纏めて紙に書いて持参したところ、担当のカウンセラーさんに本気で驚かれました。
ここまで過酷な幼少期を過ごした人は稀だと。。。
話を戻しますが、物事の見方を変えた事でだいぶ気持ちが楽になりました。
帰る道すがら『私が自己肯定感を失った。いや自己否定感を刷り込まれた一番の出来事は何だったのだろう?』と考えました。
間違いなくこれだという事柄が見つかりました。。。
上にリンクを張ったブログでも触れておりますが、私は幼児期に左眼が斜視弱視で0.02しか視力が無く、視力の出ていた右眼に眼帯をして、見えない左眼のみで幼稚園に行くという経験をしています。
幼稚園では眼鏡を掛けているだけでも他の園児に虐められました。
その上眼帯もしていて、見えないから他の幼児と同じ様に動く事も出来ません。
いじめと自分に対するコンプレックス。。。
その上年長時の教員が、見えないから他の園児と同じ様に動ける訳の無い私に対して馬鹿にした様に怒るのです。。。
私は自分がどんな悪い事をしたのか分かりません。。。私は私なりに一生懸命いう事を聴こうとしていたのですから。。。
でも怒られるので、私は自分が出来損ないなのだと自分を責めました。でも私は何にも悪い事はしていないのです。。。。
※こう書いてるだけで、当時の幼稚園教諭に対する怒りが沸騰しそうです。。。
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そして極めつけはウチの猛毒両親です。
私は『お前は何も悪くない。』と言って抱きしめて欲しかった。。。
しかしウチのバカ親は違いました。
『今お前を甘やかしたらお前の為にならないと心を鬼にして厳しく突き放した。』
と涙を浮かべ、さも自分達は『素晴らしい教育をした』と酔いしれているのです。
『はぁ~??』
『お前ら自分達が大変だったとか言ってるけど一番辛かったのは俺なんだよ馬鹿野郎!!』
『幼稚園でいじめられ、悪くも無いのに怒られて自信無くしてるのに、家でまで突っぱねられた俺は何処で誰に認めて貰えばいいんだよ!!周り全てから否定されて俺が俺をどう肯定出来るように成るっていうんだよ!!』
『お前ら一瞬だって俺の立場に立って考えた事あるか?もしあったらそんな馬鹿な接し方出来ないだろう!!幼稚園なんて行かなくったってどうって事ないんだよ!!一生自己否定して苦しむくらいなら、逃げ癖が付くくらい大したことじゃないんだよ!!』
気が付いたら車の中ではち切れんばかりの声で怒鳴っていました。
そしてあの頃の辛かった私を、私自身が抱きしめて『辛かったね。良く頑張ったね。』と褒めてあげました。。。
アダルトチルドレンからの回復について書かれている『アファメーション』ってこういう事だったのだとやっと理解出来ました。
そしてあのCDで語られていた事も。
ふと我に返って
『こういう事ってしても良い事なのかな?』
と思い
『毒親 怒り 吐き出す』
で検索すると
が出てきたので読んでみたら、まさしくこの方法でした。
私と同じ様に『自己肯定感が持てずに苦しんでいる』貴方。
貴方は今生きているだけで凄いのです。
親から育まれるべき『自己肯定感』という生きる為の必須アイテム無しで今まで生きてきたのですから。
今はポジティブになんて考えられないかも知れない。
でも今の苦しみから逃れたいと願うのなら、やってみてください。
笑える日がもうすぐやって来ます。