仕事をする意味の一つ

職場が7日から再開する。

今日はその準備の為に出勤した。

正直言ってコロナウイルス感染が高まるリスクより、仕事が出来る安心感の方が大きく上回った。

勿論安全対策は出来る限り打つ。再開に先立って出勤したのもビニールシートやフェイスシールドを準備するためだ。

私生活でもこれまで同様、不要不急の外出は避けるつもりだ。

コロナの脅威が薄れた訳では無い。

それよりも部屋で一人閉じこもっている事の恐怖が上回ったのだ。

そしてそう遠くない定年後の生き方を考えた。

毎日一人で誰とも口を聞かず、ただ漫然と時間だけが過ぎていく時間の浪費は苦しかった。

自分で計画を立て、活動的に過ごすことが自分には出来なかった。

子供の頃は定年を迎える頃には生活にゆとりも有り、孫と遊んだり連れ合いと旅行したりと悠々自適に暮らしていけるもんだと思っていた。

しかし現実は孫どころか連れ合いさえも居ない。いや居たとしても養える甲斐性もない情けない現実。

定年したらこの一か月間の様な誰とも口を聞かない不毛な時間の浪費で人生を終わらせることになるだろう。

今日約1か月ぶりに職場のメンバーに合い、仕事をしてきた。

普段は何とも思って居なかったが、人とのコミュニケーションの重要性が心にしみた。

人はパンのみでは生きられないとは良く言ったものだ。

私は定年を迎えても、可能な限り仕事を続けていこうと思った。仕事なんて出来ればしたくないと言っていた私が、このコロナ禍で気付かされた大きな出来事だった。

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