自己肯定感を失った幼児期

私はこうしてメンタルを破壊されました

猛毒親

毒親により自己肯定感を奪われた私は就職活動でもその影響を受けます。

先ず自分が何をやりたいのか分からないのです。

当時は意識はしていなかったのですが、自分が何をしたいと言う観点では無く、『自分でも出来そうな仕事って何だろう?』と言う観点で仕事を探していました。

自己肯定感を失った幼児期

※上記ブログの様に幼児期に両親から『人並みに生きる事が出来ない』という思い込みを背負わされた事が大きく影響したものと思われます。

クリエイティブな仕事なんて自分には出来そうにない。飛び込みの営業なんて自分には出来そうにない。競争率があまりに高そうな会社には受かりそうにない。公務員試験も受かりそうにない。。。。

そこで学生時代にアルバイトした中で、自分にも出来そうに感じた接客販売業の会社を探す事にしました。

その中でも比較的規模が大きいと言う理由で百貨店業界を目指す事にしました。

この時代はまだバブル崩壊直後で就職事情もそこまで悪化してはおらず、その数年後に来る就職氷河期とは事情が違いました。

しかし百貨店業界からは色好い返答は貰えませんでした。『神経質そう』といったイメージを伝えられた事も有りますが、この時まだ私が気付いていなかった『自信の無さ』を感じ取られていたのかも知れません。

大学の就職指導室が開催した面接講座に呼ばれたのが私が新卒で入社する事になるE社O部長(当時は次長)でした。

私は率先して模擬面接を受けました。私はE社の事は全く知りませんでした。アパレル中心に自社ブランドを持つ総合商社で、顧客の中心は個人店という所謂『卸の百貨店』でした。

模擬面接でO部長は私を気に入って下さり私は会社見学会に呼ばれ、一次面接、二次面接、最終の社長面接と順調に進み内定を頂きました。

百貨店業界を諦めたくない気持ちも有りましたが、当時大企業だったE社から早々に内定をもらいO部長からも早めに入社を決めるよう促され、『まぁ良いか。』という安易な感じで就職活動を終了しました。

私や両親はE社の事を知りませんでしたが知る人ぞ知る大企業だったので、周りの反応に内心嬉しく思っていました。

両親は世の中の事をあまり知らない人達でしたが、周囲の人の反応が良かったので鼻高々でした。

私は就職先も『毒母が気に入る所』という基準で探していたのかも知れません。。。

自分は間違っていない。

※上記リンクのブログの様に無意識に『自分が何がしたいのか』より『毒母が何を自分に求めているのか』という判断基準になっていたのだと思います。

入社した部署は商社というイメージとは程遠いアナログな雑用で、中には入社数ヶ月で辞めていく同期も居ました。

しかし私はこの会社が『ジョブローテーション』を行っていて、年に一度人事に希望を提出出来る事も有り、不満に思う事なく仕事を楽しんでいました。

正直言って今の時代なら大卒の正社員にやらせるような仕事内容ではないと思います。パートさんやアルバイトさん中心で回せる様な仕事内容でしたが、そんな仕事で月給やボーナスが貰えて責任やノルマも少なかったので、体力的には楽では無かったですがストレスなく働けました。

学生時代のノリのままでしたので、長い研修期間の様な物でした。

またE社は古き良き『日本企業』で年功序列の家族経営。仕事が出来ても出来なくても役職や給料に大きな差は生じません。やる気のある若い人材はそれが嫌で辞める人もいましたが、私にとってはそれが大きな安心感になっていました。

定期昇給も有るので長くいる事のメリットも感じましたし、給料が安いと言われていましたが、親の収入が基準の自分には充分な給料でした。

中途採用は基本的にしないので本当に家族の様な感じで、どう考えても『普通はクビだよね。』って言う人もクビを切られる事は殆ど無かったです。

保守的な私にはそれが安心感になっていました。

そして『大企業』であるという自己満足が自分のプライドを支えてくれました。

またそのプライドが足元のおぼつかない脆弱な自己肯定感を支えていました。

異動の希望ですが、やはり自分が本当に何がやりたいのかは良く分かっていませんでした。

会社の稼ぎ頭は婦人服でしたが『自分は婦人服の事は分からないし。』と相変わらず『自分で勉強すれば専門家になれる』と言った考えは浮かびませんでした。

普通に考えれば初めから婦人服に詳しい20代男性なんてそんなに多くはいないはずです。しかし、『自分には出来ない』というネガティブなイメージが先行していました。

会社が推奨するとある資格を入社2年目で取得した後、ロッカー室で取締役経理部長経理はどうだい?』と声を掛けて頂いたにも拘らず『机に向かってると眠くなっちゃいそうで。』と今考えると本当に馬鹿な断り方をしてしまいました。

『自分に自信が無いゆえに、ことごとくチャンスを逸するアダルトチルドレンの典型』です。。。

それで自分でも取り敢えず出来そうかも知れないと言う安易な理由で、不人気部署に異動願いを出して、そこでパワハラに遭い初めて鬱を発症し、退職する事になる訳です。

自分に対する信頼感の欠如から、一人では抱えきれない仕事量を背負わされても出来ないと断る事が出来ず、出来ない自分を責めた結果心を病んだ末でした。。。

転職先に選んだ業界も『自分でも出来るかも知れない』と言う理由でしたが、そもそも自己肯定感が低い人間が自分でも出来そうに思う仕事で給料が高いはずはないのです。

時代はどんどん悪くなり、転職先ではボーナスが出なくなっていきました。

E社時代よりはるかに給与水準が下がっていると言うのに、弟が急死した2年後に毒母が私名義で家を買うと言い出し、私の意向を等全く無視で強行に話を進め、またも私は鬱になりました。

1999年8月28日

自分語り

21年前に急逝した弟『きよし』の事

『自分には出来ない』という心に深く根差した思いと『誰も私を助けてはくれない』と言う思いが私を鬱に引きずり込んで行きました。

そして私は今の会社に転職した訳ですが、入社当時定期昇給していた分は会社が一方的に役職別給与に改訂した際に没収され、以後何年働いても給与の上昇は無し。

毒親の悪影響で心の奥深くに刻み込まれた『自分には出来ない』『自分は誰にも助けて貰えない』というネガティブなセルフイメージ『自分に対する信頼感の欠如』のせいで、私は昇進のチャンスを毎回潰し、またその失敗が『自分が昇進して給与水準を上げる事は不可能』という思いをより強固な物にしています。

自己肯定感が高い人からしたら欧米型の実力主義はとても働きやすい環境だと思います。

しかし私の様な自己肯定感の著しく低い人間には、昭和の家族主義的年功序列企業が安心してパフォーマンスを発揮出来るのです。

それでは今の時代会社は生き残れないと言うご意見はごもっともだと理解していても。。。

私は今、自分と全く合わなくなった会社とどう折り合いをつけようか悩んでいます。。。

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たかし

温泉とボウリングをこよなく愛する、冴えないアラフィフの独身オヤジ。