このブログは自分自身のダークサイドについて語るものですが、過去を振り返って親や他人に責任を押し付ける為に書くのではなく、自分の生きてきた道筋の棚卸をして、これからの人生を明るいものにする為に書くものであります。

私も生まれてから暫くは人並みに親から愛情を受けて育っていたようでは有ります。

両親と私

先ず最初に歯車が狂い始めたのは幼稚園に入る直前の4歳の頃でした。

母は『人様に預ける前に悪い所は無いかチェックしておきたい。』と大きな病院に私を連れて行き一通りの健康診断を受けさせたのですが、その時に『左眼の視力が0.02しかない』という事実を知ります。

『小児性遠視性斜視弱視』。。。

この時から見えている右眼を遮蔽して、0.02しか見えない左眼で幼稚園に通う事になります。

当然見えないので周りの友達と同じ様には動けません。今の様に障害を持つ園児に対するケアも無く、私は人並みの事が出来ない自分に劣等感を持ち始め、笑う事も話をすることも激減していきました。

人並みのことが出来ずに片眼を遮蔽している子供なんて苛めの対象には打ってつけです。

もう心身ともにフルボッコです。

更に家に帰っても両親は私にキツク当たります。。。

『今甘やかしたらこの子の為にならないと心を鬼にした。』と両親は言っていましたが、じゃあ傷ついた幼児期の私は誰に何処で認めてもらえば。。。。。

うちの両親ともにかなり強烈なキャラですが、父方も母方も祖父母がその上を行くとんでもない方々で、うちの両親は『親のあるべき姿』を知らないまま親になってしまったのです(;・∀・)。親父のロクデナシ伝説

まぁある意味可哀想な人達なのですが、そんな親を持ってしまった私や弟は。。。

で、幼稚園でも家でも『自分は出来損ない』だと感じざるを得なかった私は益々劣等感を募らせていきます。

自己肯定感など育まれる余地すらありませんでした。

唯一の救いは3歳年下の弟『きよし』が居た事でした。

『きよし』はずっと変わらずニコニコと『兄ちゃん』と慕って来てくれたので、何とか持ちこたえられたのだと思います。21年前に急逝した弟『きよし』の事

管理人ときよし

小学校に入ると右眼の遮蔽は無くなりますが、心は閉ざしたままでした。

2年生頃になると母が私を机に縛り付けに掛かってきました(・_・;)。

母曰く『アンタは大人になってもまともに働けないんだからせめて勉強位出来なきゃ生きて行けないと思ったから』だそうです。。。

まぁ嫌々でも勉強していればそこそこ成績も上がってきます。

成績が上がれば褒められるので、今まで承認欲求に飢えていた私は何とか両親や教師に認めてもらおうと自分から勉強をするようになりました。

理由は『認めてもらうため』。逆に言えば『成績の悪い自分には価値が無い』という強迫観念を持っていたのです。

そして高校は県立のそこそこ名前の通った学校に入学します。

両親や祖父母は鼻高々です(-_-;)。

私は高校に入学した事で目標を貫徹した気になったのか、あまり勉強に関心が向かなくなりました(^^;)。

高2の証明写真

小学生時代は右眼を遮蔽していた影響が残っていた事も有り、『自分は運動が出来ない』と思い込んでいましたが元々運動神経は悪い方では無かったので、陸上競技に没頭する様になりました。

何故陸上競技だったかと言うと、団体競技では他人に迷惑をかけてしまう可能性が有るのが嫌だったからだと思います。つまり個人競技の方が気が楽だったからです。

大学受験しましたが理由は『大学に行かないと自分には価値がなくなる』という思いからで、特に何が勉強したいという訳でもありませんでした。

自分は進学校に行っていたから周りに認めてもらった。だから大学に行くのは当然だ。

そんな理由での受験だったので、自分の成績ではまず無理な有名大学を記念受験したり、学部も絞り切れていませんでした。

一浪し、二浪は出来ない状況で受かったのが、とある私立大学の二部と自分が卒業する事になる新設大学の二期試験でした。

此処でも二部に入学したら一部に転部しなければならないという強迫観念から新設の大学に進むことにしたのですが、家の経済的事情を鑑みても二部で良かったのではないかと今なら思います。

大学名ではとても勝負が出来なかったので、大学では真面目に勉強して1年、2年。そして4年間の総合で成績優秀者の表彰をされ、大学から無償の奨学金を受けました。

大学3年ゼミ2

そして当時売上高650億を誇っていたとあるアパレル企業に入社しました。

両親ともにその企業の事は良く知らなかったのですが、親戚や友人に私の就職先の話をすると、相手が口を揃えて『凄いね。』『それは素晴らしい。』等と言ってくれるので大喜びでした。

社会人2年目カラオケ

しかし、入社3年目に転機が訪れます。

私は異動先でパワハラに遭ったのです。

一人では到底熟すことが出来ない仕事量を押し付けられ、何とか熟そうと始発電車に乗って会社に向かいますが、どう工夫しても物理的に不可能な量で私は不眠に陥りました。

キチンと人事部に状況を説明すれば良かったのかも知れません。

しかし当時はコンプライアンスという言葉すら聞いた事が無く、自分が鬱病になっているという認識すらなく、自己肯定感の低い私は自分の能力が低いからいけないのだと自分を責めていました。

しかし、1日2時間しか眠れない日が2カ月続いた時に父にこの会社を辞めたいと打ち明けました。

すると父は

『みんなが良い会社と言っているのに情けない。』

と私を責めました。

父にとって私は『みんなが良いと言ってくれる会社に勤める私』だから価値が有ったのです。。。

更に母に打ち明けると

『辞めてもいいけど毎月入れてるお金は入れてよね。』

という返答が。。。。。

『毎月一定額を入れる私』にしか母は私に価値があるとは思っていない。。。。

両親揃って条件付きでないと私の存在を大事だとは思っていない。。。

毎日廃人の様に重い身体を引きづって何とか生きていた私は、『そのままの私自身には価値が無い』という思いを強くしました。。

そして転職した訳ですが、その3年後に弟が事故死しました。

そのままの私を慕ってくれていた弟が居なくなってしまった。。。

更にその1年後、母が突然私名義で家を建てると言い出しました。

転職して給料の激減した私は反対しました。家のローンで終わる一生なんてまっぴらだったからです。

しかし母は激高しました。

その理由がまた酷かった。。

『今の狭い家ではきよしの友達が遊びに来れない。』だの『きよしが死んだ時御棺を斜めにしないと出せなかった。』だの私の事情などお構いなしでした。

結局私は今の会社に転職し、新築の家に住むことなく8年間単身赴任。

2度程結婚しようと思った事は有りましたが2度とも家の事情がらみで流れて今に至ります。。。

物心ついた時からずっと、『成績が良くて自慢できる私』『良い会社に入って自慢できる私』『お金を家に運んでくる私』でないと価値は無く、そのままの素の私では認めてもらえないという思いが深く刻み込まれました。

※それでも両親の介護を放り出さなかったのは、自分が後悔したくなかったからなのかも知れません。母の新居

しかし今はそれで良かったと思っています。理由については此方をお読み頂ければ幸いです。7か月ぶりの母との面会

この自己肯定感の低さは仕事や恋愛含む人間関係の構築にも悪影響を及ぼしました。

仕事においては『上手くいかない事が有ると全部自分が悪いと思って自分を責める。』『完璧に出来ない自分には価値が無いと思ってしまう。』『結果責任ある立場になると心身を壊しやすく出世が出来ない。。。』

恋愛においては『自分が愛される訳ないと思い込んでいるので常に相手のご機嫌を伺う。』『相手の気持ちを裏読みしてしまう。』『いつも相手の気持ちを確かめていないと落ち着かない。』と言った事から結果ウザがられる(-_-;)。

だから相手に『もっと落ち着いて!!』と言われてしまうのです。。。

※自己肯定感については過去にも一度書いております。自己肯定感

原因と現状はこういったところなのですが、ではこの先はどうしたら良いのか。

自分は自分のままで価値があるのだとどうしたら思うことが出来るのか。

他人に嫌われることを恐れない様になれるにはどうすればいいのか。

どう逆立ちしたって父の様な自惚れの強い人間にはなれません。なりたくもない。

でも、自分を認めて褒めてあげる事はしていかなくてはならないと思います。

自分が認めてあげなくて誰が自分を認めてくれるのでしょう。

もっと自分を好きになってあげなくちゃ自分が可哀想ですよね。

自分なりにでも頑張って来たんですから。

そうする事で男女問わず他人からもっと必要とされる自分になれるはず。

好きでいられる自分になれる様に。

今からでも遅くは無いはず。。。。

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たかし

温泉とボウリングをこよなく愛する、冴えないアラフィフの独身オヤジ。