12/5。今日はとても寒い一日でした。
もうすぐ標高の高い場所にあるスキー場はオープンするかなぁなんて事を考えていたら、横手山山頂ヒュッテの想い出をブログに書こうと思い立ちました。
私は14年前に狭心症を患ってからスキーを止めてしまいましたが、高校時代のスキー教室に端を発し、大学時代から社会人になって狭心症を患うまでは冬はスキーの事ばかり考えていました(笑)。
と言っても学生時代は貧乏学生でしたし、狭心症を患う2年位前までは自分の車も持っていなかったので、年間滑降日数7日~10日位なものでしたが。
一人でスキーバスに乗り込んで日帰りスキーにも行きましたが、弟の『きよし』と二人連れだって泊りや日帰りスキーによく行きました。
成人した男兄弟二人でスキーに行くと言うと珍しがられたりもしましたが、私がきよしに遊んでもらっていました(笑)。
私は新卒3年目に異動先でパワハラに遭って最初の会社を退職したのですが、次の会社の入社日まで1ヶ月程時間が出来たので、きよしを誘って志賀高原の硯川にツアーバスで行きました。
志賀高原と言えばスキーヤーにとって憧れの地ですが、エリアがとてつもなく広くて何処をベースにしようか悩みました。考えた結果標高差が有って滑走距離も長い横手山スキー場にアクセスしやすく、温泉も有る硯川に宿を取りました。
早朝に到着しスキー場がオープンすると横手山の山頂を目指しました。
横手山スキー場は修学旅行生が多かったので、裏手の渋峠スキー場で滑りまくりました。
3月で天気はピーカンでしたが、標高2307メートルの横手山山頂から伸びるコースは雪が良く締まって滑りやすかったです。
そして昼時になり、日本で一番高い所にあるパン屋さんとして当時から有名だった『横手山山頂ヒュッテ』で食事をしました。
玄関近くには名物犬のシベリアンハスキーが大人しく座っていました。
横手山山頂ヒュッテのテラスから見える志賀高原の山並みはとても美しかったのを覚えています。
それから10年の月日がたち、私は一人で横手山のスカイレーターと夏山リフトで横手山山頂を目指していました。
弟のきよしはその7年前に事故で急逝し、私は仕事の都合で群馬の前橋に住んでいました。
季節は初夏で、その日もきよしとスキーに来た時の様に気持ちの良い青空が広がっていました。
お昼にはちょっと早かったのですが、私は横手山山頂ヒュッテに吸い込まれていきました。
季節は冬ではないけれど、テラスからはあの日きよしと見た志賀高原の山々が見渡せました。
レストランの厨房内ではスタッフの皆さんが忙しそうにパンを焼き、美味しそうなパンが何種類も並んでいました。
私はトレイに選んだパンを乗せ、お会計時にスープを注文しました。
そして何気なくレジの女性に
『弟もここのパン好きだったんですよね。。。死んじゃったんですけど。。。』
と呟いていました。
すると20代前半だと思われるその店員さんは
『ではこれは弟さんの分です。』
と言って私のトレイに1つパンを乗せてくれたのです。。。。。。
全く思いもよらない、そして極々自然に発せられたその言葉に私は
『えっ!!』
と驚き、そして『ありがとうございます。』とお辞儀をしてトレイを持って窓際の席に着きました。
外を見るしかなかったのです。
だって涙でぐしゃぐしゃになった顔を見られたくなかったから。。。
店員さんの優しさが嬉しかったのと、きよしがこの世に居ない寂しさとが入り交じり、泣きながらパンを食べました。
今思い出しても涙が溢れます。
今まで数多くの接客を受けてきましたが、これ程まで心に響く気遣いは未だかつて経験した事が有りません。
私も対面接客業を生業としていますが、お客様の心に寄り添った接客が出来るように精進していきたいと思っています。
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