今日は久しぶりに暖かな日差しだった事もあり墓参りに行った。
自宅から2キロ程の距離なのでもっと顔を出さなければいけないのだろうが、このところの雨続きと、休みとなればなんだかんだ予定を入れて現実逃避する悪い癖で久しぶりの墓参りとなった。
墓には花が生けてあった。
弟『きよし』の中学時代の担任及び部活の顧問の元奥さんが生けてくれた花だ。
この方のご両親も同じ墓地に永眠されていて、いつもうちにもお参りして下さる。
私も彼方のお墓にお茶を上げるのが当たり前になってもう20年程になる。
弟のきよしは21年前の8月に職場の事故で急逝した。誕生日も8月だった。
なのでこの季節にも関わらずひまわりをわざわざ生けて下さったお心遣いが有り難い。
うちのお墓には弟と7年前に亡くなった母方の祖母、そして昨年亡くなった父が眠っている。
2~3歳の頃私は兄弟が欲しくて仕方なかった。
第2次ベビーブーマー世代の私達の年代、近所の友達には皆兄弟姉妹がいた。
私は家の近所に住む年上の面倒見の良いお兄ちゃんに遊んでもらっていたのだが、自分の本当のお兄ちゃんが欲しくなり母にそう伝えると母は困っていた。当たり前だ(^^;)。
そして私が3歳になって暫くしたある初夏の日に母は私に正座するように言い、こう話しだした。
『たかし、たかしはもうすぐお兄ちゃんになるんだよ。ママのお腹の中には赤ちゃんがいるの。ほら、ママのお腹に耳を当てて聞いてみて。』と言った。
私の人生で今でも一番嬉しかった言葉かもしれない。
※母の話によると私はその後近所中に『ぼくんちに今度赤ちゃん生まれるの。』と言って回ったらしい(^▽^;)。
実は私のお産の時に母は妊娠中毒症になり私を予定日より早く出産。きよしを身籠る前に一人流産しており、かなり安定するまで私には話さなかったようだ。
母とお風呂に入るときよしは元気よく母のお腹を内側から蹴った。
私は『赤ちゃん、早く出てきてね。』とお腹に話しかけた。
そしてきよしは8/31の夕方、元気に生まれてきた。
もう嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
何故か3歳位で両親は自分より早く死ぬという恐怖心を持っていた私は、きよしがいれば一人になる事は無いと言う安心感を持つことが出来た。
父曰く、この頃から急に私はお兄ちゃんであると言う自覚を持ち始めたらしい。
母親が言っても聞かない事も私が言うときよしは言う事を聞くので余計に可愛くて仕方が無かった。
赤ん坊の頃は丸々として当時の人気力士『富士桜』によく似ていたが、幼稚園に入るころからイケメンになり、周りからも可愛い可愛いと言われるので連れて歩くのが嬉しかった。
ただ初めての子供で目にハンデを持っていた私は母から優等生で有る事を強要されたのに対し、きよしは自由奔放に育てられ中学に入った頃からは教師に私と比較されて、私に敵対心を持って向かってきたことも有った。
私は中学に乗り込んで『あいつにはあいつの良い所があるのでそこを見てやって欲しい。』と教師に直談判した。
私に対して対抗心を持ちつつもきよしはいざという時は私を頼って来たし、私に甘えているという自覚も彼自身持っていたので仲は良かった。
小さい頃の様な仲の良さとは違うが、例えば私が大学4年の就活でバイトが出来ず授業料の納付が遅れそうになった時には、何も言わずに結構な金額を差し出してくれる様な事もあった。
そのきよしが突然この世からいなくなった。。。。。
彼さえいれば私は生涯一人になる事は無いだろうと思っていたのに突然先に逝ってしまった。。。。
事故の詳細は示談が成立しているので言及できないが悔しいとか悲しいとか寂しいとか腹立たしいとか、感情をどう表現したらよいか分からなかった。
あの日から生活は一変した。
きよし急逝の2年後、母が私名義で家を買うと言いだし嫌がる私に無理矢理印鑑を押させ、私は今の会社に転職し、8年間単身赴任。
2度程結婚しようと思った事もあったが家や家族の問題で不成立。
9年前に実家に戻った。
そして4年程前に父が倒れ要介護に。
昨年母が肺癌になり、以前からおかしいとは思っていたが認知症が酷くなり要介護に。
その際弟の事故の示談金を一切母が使い切っていたことが発覚。私一人で両親の介護について役所やケアセンター、病院のケースワーカーに相談するも心身を壊して自らも休職。
復職2か月後に父急逝。父に下りていた弟の労災年金打ち切り。
今に至る。
まぁ自分の思うような人生では無かったけど、この人生でしか出会えなかった方々も沢山いるはずなので決して不幸では無いです。
それでもね。。。
弟には先に逝って欲しく無かった。。。。
またおいおい昔話も思い出したら書きます。
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さみしいですね。でも写真がたくさんあるのが、羨ましいです。私の小さい頃の写真は、数枚です。
コメントありがとうございます。写真として印刷してもらっていたのは有り難いです。今はスマフォなどで簡単に撮影できますが、逆に保存していないなんてケースも有るかも知れませんね。思い出は財産と言えるかもしれません。